野原慎太郎(横浜清陵野球部監督)の経歴は?教員としての立派な実績も紹介!

横浜清陵高校の野原慎太郎監督の経歴が気になる

この記事を開いた方は、このように考えているでしょう。

横浜清陵高校が21世紀枠で甲子園出場を果たす前から、実力のある指導者として注目を浴びていました。

この記事では、野原監督の指導者としての実績はもちろん、教員としてどのような活躍をされているのかを紹介します。

ぜひ読み進めてください。

野原慎太郎(横浜清陵野球部監督)の経歴

この章では、野原慎太郎監督のプロフィールや選手時代・指導者時代の実績をお伝えします。

プロフィール

まずは、プロフィールから見ていきましょう。

  • 生年月日:1982年8月25日
  • 年齢:42歳(2025年2月時点)
  • 出身地:大阪府
  • 出身中学:大和市立つきみ野(神奈川県)
  • 出身高校:東海大相模高校
  • 出身大学:横浜国立大学→横浜国立大学大学院
  • 担当科目:家庭科

幼少期のころは大阪で暮らしていましたが、中学時代から神奈川県で暮らし始めました。

「家庭科の先生」としての経歴にも注目が集まっています。

確かに、家庭科教諭で甲子園に出場した監督というのは珍しいです。

「家庭科の先生で指導者として甲子園出場」を果たした人を調べてみたのですが、見つかりませんでした。

このことから、野原慎太郎監督がレアな存在だということが分かります。

選手時代

野原慎太郎監督は東海大相模高校時代は3年春に背番号10でベンチ入りを果たし、チームはセンバツ優勝しました。

決勝の相手は優勝候補だった智辯和歌山です。

当時(2000年)のエースだった筑川利希也投手の頭脳的なピッチングを覚えている高校野球ファンも多いでしょう。

 

野原監督はチーム内で2軍の選手でしたが、努力を重ねて背番号を勝ち取りました。

ですが、3年夏はメンバー外になりチームは予選敗退。

「このままでは終われない」

そう決意した野原監督は猛勉強を重ね、一般公募推薦入試で横浜国立大学に現役合格しました。

このように、甲子園のベンチ入りを果たして国立大学に合格している点も、異色な存在と言えます。

 

横浜国立大学時代、下級生のころはリーグ戦(神奈川大学リーグ)で苦戦を強いられていました。

ですが、上級生のころにはチーム全体の実力が高まってきて、リーグの強豪校だった大学(神奈川大・関東学院大・横浜商科大)とも対等な勝負ができるようになってきました。

横浜国立大学出身でプロ野球選手になったのは、以下の2人です。

  • 長富政武(1923年生まれ・大洋ホエールズ出身)
  • 北川智規(1978年生まれ・オリックスブルーウェーブ出身)

野原慎太郎監督は、「北川智規さんの話を聞いて横浜国立大学で野球をしようと決意した」と語っています。

「当時4年生で、その年のドラフトでオリックスから7位指名された北川智規さんが練習を抜けて、『高校とはまた違う野球がここにあると思うよ』と、30分以上も自分のために話をしてくれまして…大学で野球を続ける自信がなかったのですが、これに感動して、横浜国大に入ってもう一度野球をやり直そうと決意しました」東海大相模でセンバツ優勝を経験し、横浜国大へ。ジェンダー論を説く家庭科教諭が目指す野球

このように、野原慎太郎監督は学生時代「文武両道」を実践してきました

指導者時代

野原監督のこれまでの赴任先は、以下の通りです。

  • 2007年~2011年:岸根高校
  • 2012年~2019年:大師高校(赴任時より野球部に関わる)
  • 2020年4月~:横浜清陵高校(同年8月より野球部監督)

大師(だいし)高校時代から熱血指導者として知られており、2015年夏と2017年夏にはチームを神奈川県大会ベスト16に導きました。

横浜清陵に赴任してからも野球部を強くすることに尽力し、2021年夏・2024年春・2024年秋の3度にわたってチームを神奈川県大会ベスト8という結果を残しました。

野原慎太郎の指導者としての信念

野原監督の指導者としての信念は、以下の言葉に集約されています。

●「公立意識」は負けの言い訳づくり
(自分たちを過小評価し、可能性を限定しているだけ)
●「私立意識」は相手を見上げるだけ
(試合をする前から負けている)「公立意識」は負け犬根性の象徴…なぜ“東海大相模OBの41歳”公立校監督は本気で甲子園を目指すか「変に謙遜する必要もない」

前任校の大師高校のグラウンドにも貼っていた言葉です。

「公立だから(負けても仕方がない)」という意識を徹底的に取っ払おうとしていることが伝わります。

神奈川県は、強豪私立高校がそろっている激戦地区です。

横浜高校・東海大相模高校・慶応義塾・桐光学園など、いくつもの学校を挙げられます。

 

神奈川県の公立高校でのセンバツ出場は、1997年の横浜商業高校までさかのぼらなければなりません。

夏に関しては、1990年(横浜商業高校)を最後に、公立校は甲子園に出場していません。

そんな中で甲子園出場を勝ち取るには、並大抵の覚悟では難しいでしょう。

 

とはいえ、神奈川県には公立高校の指導者として有名な方も多いです。

2025年1月にお亡くなりになった佐相眞澄さんが率いていた県立相模原高校は、打ち勝つ野球を体現し2019年夏に横浜高校に勝利しました。

これからも、公立高校が躍進するのを見ていきたいです。

野原慎太郎の教員としての実績

野原慎太郎監督は野球部の監督としてメディアに取り上げられることが多いですが、教員としても実績を残しています。

岸根高校時代(2011年)に、県優秀授業実践教員表彰を受賞しました。

受賞当時、以下のように語っています。

「賞を狙っていたわけではないが、評価されたことは嬉しい。これからも今まで通り、変わらずやっていきたい」タウンニュース│神奈川県全域・東京多摩地域の地域情報紙

野原慎太郎監督は、「家庭科」という科目に対して並々ならぬ情熱を抱いています。

「どうしても“家庭科”という科目名から想起されるイメージがありますが、実際は“生活科”がふさわしいかと。人生、家族、保育、高齢者、食物、被服、住居、消費など、人が生きていく上で大事にしなければならないことを学ぶのが家庭科なんです」東海大相模でセンバツ優勝を経験し、横浜国大へ。ジェンダー論を説く家庭科教諭が目指す野球

確かに「家庭科」と聞くと料理や裁縫(さいほう)をイメージしてしまいがちです。

ですが、そのイメージは家庭科に対する思い込みの1つなのかもしれません。

実際には、家族との生活・地域との関わり・高齢者の介護など、家庭科で扱われる分野は幅広いです。

また、「公立は私立に勝てない」というのも思い込みの1つと言えます。

野原慎太郎監督は、人々が無意識に抱いている思い込みを取り払ってくれる指導者だと感じました。

横浜清陵高校野球部の戦績

2024年秋の戦績は、以下の通りです。

  • 地区予選:横浜清陵16-1横浜緑園・横浜旭陵
  • 地区予選:横浜清陵4-3横浜南陵
  • 地区予選:横浜清陵10-0
  • 2回戦:横浜清陵3-0上矢部
  • 3回戦:横浜清陵4-1住吉
  • 4回戦:横浜清陵5-1三浦学苑
  • 準々決勝:横浜清陵0-5東海大相模

東海大相模は野原慎太郎の母校であり、選手たちも「絶対に負けない」という熱意で挑んだでしょう。

一般的には「良い勝負をした」と言われるような結果ですが、横浜清陵ナインは誰1人として満足していないでしょう。

その証拠に、21世紀枠での出場が決まった直後、選手たちは派手に喜びを表現することを控えました。

「甲子園で勝利する」と決意し、戦いに挑んでくるでしょう。

横浜清陵高校の甲子園での戦いぶりや今後の動向から目が離せません。

 

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まとめ~野原慎太郎監督の今後に注目~

今回は、野原慎太郎監督の経歴を中心にお伝えしました。

これまでの主な実績をまとめておきます。

  • 東海大相模高校時代は甲子園のベンチ入りを果たす
  • 現役で横浜国立大学に合格
  • 大師高校時代はチームをベスト16に導く
  • 横浜清陵高校を甲子園出場に導く
  • 家庭科教員として神奈川県から表彰される

これからどのような実績を積み重ねていくのか、気になります。

野原慎太郎監督が講演する機会があれば、足を運んで参加したいです。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

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